乳がんの治療は、様々な方法があります。私の場合は、左胸のしこりがすでに大きく乳房部分切除術(乳房温存術)を行っても良いが形は整わない、と言われました。
そのため、全摘出、同時再建となりました。
今回は、手術前の流れ、全身麻酔の様子、全摘出同時再建の手術終了までについてお伝えします。
乳がん・全摘出同時再建の入院前
手術方法や日にちが決まると、「入院が決まった方へ」などの用紙が渡されます。
そこには
* 手術日
* 提出するもの一覧
* 手術前説明の予定時間
* どこの病棟か‥‥など
* 基礎情報用紙
* 入院診療計画書
乳がんの入院当日でも子供は特にかわらない
入院当日の日、ちょうど学校の先生方の会議があって子どもは学校がお休みでした。なので、家族揃っていたんです。
子どもたちに「じゃあ、行ってくるね!」とわざと明るく声をかけ、
「お母さん、頑張ってね!」という答えを期待していたのに、二人とも返ってきた返事は
「はいはい。いってらっしゃい」
のみでした。なんだかその様子に笑ってしまって、緊張することなく病院に向かうことができたんですね。まあ、家でどう過ごしていたかはわかりませんが…。
本当は、入院前日、子ども一人一人に手紙を書いたんです。でも渡せなかったし、渡さなくてよかったな、と思いました。子どもたちの様子を見て、
「病気だけど、治るから。大丈夫だから」
と言われている気がしたんです。だから私も、よし!絶対に早く帰ってきて見せる!と頑張る気になれたんですよね。
乳がんの手術前日に行われること
私が手術を受ける病院では、手術を受ける前日の午後に入院することになっていました。入院するのは、乳腺外科や婦人科、小児科の病棟で女性が多いところです。
同時再建は「腹直筋皮弁法」で、術後の管理が難しく、しばらく身動きできません。
そのためストレスを感じることが多く、身動きできない状態が大変に負担になるということで、個室利用となります。
ですが、たまたま空いていなくて、手術前日は4人部屋、手術後は個室、という予定でした。
午後からは、説明の嵐
* 手術中担当してくれる看護師…体調のこと、手術前の流れの説明
* 病棟担当看護師…ごあいさつ、注意点、入院中の流れの説明
* 執刀医(乳腺外科、形成外科主治医)…注意点や様子を見る
一つの説明が終わっては、次!という感じでしたので、午後はあっという間。
夕方からは詳しく執刀医の先生の説明や同意書に署名があります。
この時は主人と、私の両親が同席。病棟にある面談室のようなところで行いました。
*乳腺外科の執刀医に言われたこと*
・ 術中にセンチネルリンパ節生検を行って、転移があるかどうか確認をする。
・ 転移があれば、リンパ節郭清を行う。
・ できれば乳頭を残す。術中に浸潤があるか確認をして、残せそうなら残す。
・ 乳房切除は簡単で2時間で終わるが、同時再建に時間がかかる。
・ 予定では7時間の手術
図をその場で書いていただき、詳しい説明がされます。ふんふん、と聞いていましたが、頭の中は「転移していませんように」のみでしたね。
*形成外科の執刀医に言われたこと*
・ 比較的行われることの多い手術で、心配はないがまれに皮膚が壊死したり、ヘルニアを起こしたりする。
・ おへそは、新たにつくる。
・ 乳房の皮膚は残すが一部分はお腹の皮膚を移植し、壊死がないかどうかを確認する。
手術のための用意
お夕飯が終わり、家族が帰った頃、手術の用意が開始されます。おへその掃除や除毛を行ったり、血栓予防のために、弾性ストッキングを着用したりします。
もし、眠れなかったら、ということで眠剤を処方してもらいましたが、私の場合飲むこともなく、ぐっすり眠れました!
なぜか?
もうどうにでもなれ、という気持ちが働いたこと。
子どもが生まれてから、一人の空間で一人きりで夜自由に寝ることがなかったので妙に嬉しかった。
という理由です💦
乳がんの全摘出、同時再建手術当日
私の場合午後の12時30分からの手術でしたので、朝から飲食は禁止です。これが一番きつい!
他の人がおいしそうに食べているのをぐっとこらえて、匂いに誘惑されて、まるで修行をしているようでした。こんな時でもお腹はすくんですよね。笑えます。
午後12時には、手術着に着替え
手術は左胸でしたので、右側に点滴をし始めました。それと同時に手術着に着替え。私の場合、運悪く「女の子の日」でしたが下着は女の子の日のように、そのままつけていて良いと言われました。(オブラートに包みます笑)手術中に履き替えるそうです。手術後1週間程度動けないので管を入れるためだそうですよ。
手術室へは歩いて行く
病棟から手術室まではエレベーターで移動ですが、病棟のエレベーターのところで主人や両親とはお別れです。特になにも感じなかったな。涙のお別れのようなものもなかったです。
その病棟には、たまたまママ友が勤務していて(私とは担当などの接点がありませんでしたが)
「ぴいまんちゃん、頑張って!」と言ってもらえたのがなんだかうれしかったな、という記憶のみです。
手術ルームには手術室がたくさんあって、私は一番遠くの場所でした。そのためいろいろな機材があるのを「へー!」と歩きながら見ていましたね。私、幼児教育の道に進みましたが、高校2年生までは看護師や臨床検査技師になりたかったんですね。なので、とってもワクワクしたのを覚えています。
テレビでみる手術ルームっていろいろな機材があるじゃないですか。実際私が入った時はすっきりとした印象。いたのは、麻酔科医の先生と看護師さんだけです。
手術台にも自分であがる
歩けるのだから当たり前と言えば当たり前ですが、ここもテレビのようにベッドで寝ながら手術室に入る、ということはないんです。自分でよっこいしょ、と思いながら手術台にあがって、指示を待つんですよ。
その後血圧計をつけるんですが、この血圧計は5分ごとに測る仕組みになっているようで、そのたびに腕がぎゅーっとなります。私は近視なので眼鏡もつけていることはできず、手術台に上がった時に看護師さんに渡しました。全く持って何も見えないので、この血圧計で時間を考えていましたね。
硬膜外麻酔のためのカテーテルを入れる
血圧計をつけると、術後使用する硬膜外麻酔のためのカテーテルを背中にいれます。横になって背中を海老のように丸めて入れるんですが、これがとても痛い!なかなか入らなくて、そのたびに背中の中をぎゅーっと押されている感じがしました。
早く!早く~!と思いつつ、記憶の中で血圧計が4回ほど動いたので、20分はかかったのかな。
麻酔を入れる
麻酔科の先生が「思うように入らなくて、痛かったですよね」と声をかけてくださいました。痛かったので、天井を見るのが精いっぱい。その後、
「体重○○kgですね?」
乳がん全摘出と同時再建・手術時間と全身麻酔の怖さ
手術時間は予定通り、夜の8時には終わったようです。後で退院するときにもらう「診療明細書」には、
閉鎖循環式全身麻酔 410分
と書かれていました。つまり、麻酔は6.8時間強入れていたことになります。本当に予定通りですね。
全身麻酔から覚める
麻酔から覚めるとき、夢を見ていたのを記憶しています。その夢の中で「ぴいまんさん!」と呼ぶ声がする。その声で、ハッと目が覚めました。場所は病室ではなかったです。おそらく手術室と思いますね。
それと同時にものすごい寒気がやってきました。
毛布を掛けてもらっても、温かいカイロのようなものを入れてもらっても寒気はおさまりません。一人ぶるぶると震えていて、「寒い」しか言っていなかったように思います。移動最中はものすごい「吐き気」。何度も吐きそうになりました。
でもこれは仕方がないことです。手術前の説明でも寒気と吐き気がある、と言われていました。まさかここまでは、と感じましたが、いろいろ考えている余裕もなく、早くどうにかしたい、という思いだけでしたね。
術後はすぐに部屋に戻らず回復室で
私の場合、予定していた個室が開けられなくなってしまったので、手術後はナースステーション横の回復室で過ごしました。酸素を吸入していましたが、それを取り除きたくなるほど吐き気があり、実際何度か吐きました。もちろん何も出てきませんけれど。
本来、手術後は個室に入るようですが、私の場合は回復室。でもすぐ近くに看護師さんがいる、という安心感がとてもあって、
すぐに部屋に帰らなくてよかったな、と思っています。
感動の再会は、なし
子どもたちは学校が終わって、夫に連れてきてもらい病院で待機していたようです。
手術後も回復室で子どもたちに出会いましたが、
あまりの母の様子に絶句したようです。
そして私も、「早く帰っていいから」としきりに言っていました。
なぜか。
もちろん子どもたちや親に迷惑をかけたくない、という思いもありましたが、
とにかく吐きっぽいし、寒いし、で自分のことしか考えられない状況にあったんです。
いろいろな人に気を遣うということができないほど、心に余裕がない状況でした。
そのため、子どもたちも
「じゃあね~」と軽く帰っていきましたよ。
この時はまだ、手術が終わったんだ、ということも考えられませんでした。どうにかしてほしい、とだけしか思えませんでしたね。
余談・両親、夫しか知らない事実
これは後から聞いた話ですが、乳房を全摘出し、乳腺外科の先生から形成外科の先生へとバトンタッチをした後、両親と夫は乳腺外科の先生に呼ばれたようです。
そして、
・手術が無事に終わった
・明らかな転移はしていなかった
・乳頭近くまでがんがあったので、乳頭は残せなかった
…ということを告げられたそうです。それと同時に、
切り取った私の乳房と乳頭を見せられたそうです。夫も両親もその時の様子は聞いても口にしません。やっと聞き出せたのが、
「肉のかたまりの上に乳頭がのっていた」ということのみです。
もし、この事実が最初からわかっていたら、私自身が自分のがんを見たかったな、と思いました。
どんなものが私の体の中で作られたのか、ということをきちんと知っておきたかったですね。